スピリチュアルと仕事の交差点

管理職をやりながらスピを極めようとする中年女の徒然。

上司運占い

いや単に、どんな人が上司になるかで組織って本当に変わるよねって話で。たぶん同じようなことは何回も書いているように思うが、でも当人が変わらない限り(在籍するしない、心を入れ替える入れ替えないとか)なかなか解決の糸口が見えない。

 

数年前に部門責任者が代わり、その数年で組織が大変傷んでしまった。メンバーは生気を失い、目線が下がり、近視眼的にしか物事を考えず、ただどうやって今の状況をとりあえず乗り切る、またはこなすか、そういう思考でしか仕事をしなくなった。

 

なぜかというと上司がそういう人だから。

 

仕事へのビジョンもなく、おそらく自分の会社の事業にも興味がない。それが他部門に伝わってしまっており評判も悪い。残念なことにそんな上司に毒されたメンバーも他部門から本当に評判が悪い。私はまだ古参メンバーで人間関係が築けている&何とか自律の精神でやれている部分が残っているからギリギリ保っているものの、私も毒上司の毒にだいぶやられている。

 

振り返れば昔から上司運は良くないほうだと思う。それは最初の会社で鬱で潰れてしまったことから始まっている気がするようなしないような。ただ、その運が良くないの良くなさというのは一体何か?能力が無さすぎるというところなのか人柄なのか。ここの分析はあんまりできていない。

 

ともかく、上司運を上げる方法、誰か知りませんかね?もう限界!

 

 

私が赤を選ぶ時

今日で年度上半期が終わる。今日は有休。ずっと天候が悪く気分もイマイチ乗らない。

 

ここ1−2年、仕事がうまくいっていない。評価されていないということではなくて、何ならもっと評価されてもいいくらいのパフォーマンスが発揮できるポテンシャルを持っているとすら思っているのに(とりあえず言わせてくれ)、職場環境にすっかり毒されてしまいそんな評価からは結構遠いところにいる。そういう時に外側を変えてリフレッシュ、リスタートしたくなる。

 

私はどちらかというとアナログ派で手帳を使うのが好き。手書きの方が頭に入るし何だか棚卸しできる気分になるので。この数年は同じ手帳カバーを使っていたのだが何となく変えたい気分になって、真っ赤なノートカバーを購入した。本革製。

 

赤色を選ぶ時というのは、過去私の中で結構節目を経験している。気がする。無性に赤色の力を借りたくなる時。それは大きく何かを方向転換したり、エネルギーを得たりしたい時だったりする。そして実際、そういった道が開けた経験がある。とは言え、瞬間的にすぐ分かったようなものではなく、しばらく経ってからの方が多いが。

 

変えたい、今の状況を。他責にして力を奪われている私ではなく、見るべき方向と中身を転換させて、本来の私として活躍する未来を手に入れたい。自分の人生は自分で拓く。他人がどうこう言っている間は半人前以下だと言い聞かせ、自分自身に全集中するように。

 

そういう意味では赤色は私にとってある種のおまじないなのかもしれない。でもそれでも、これをきっかけに望む方向に現実が転換していってくれるなら御の字。

 

頼むよ赤色。

 

 

スピリチュアルから遠ざかっている

占星術の星の動きで見ると、スピリチュアルブームは去ってしまった昨今。やはり影響を受けているのか、私自身もそれを感じている。

 

最近スピリチュアルなことに触れる機会が驚くほど減ってしまった。通勤電車の中で週に数度、「前世療法」という本を読むくらい。

 

 

バランスが取れていないのかな…とも思う。私の中でスピリチュアルは流行る流行らないはあまり関係ないはずなのだが。占星術だって勉強したい。他に読みたいスピ本もたくさんある。ただパワーストーンブームは自分の中で落ち着いた(苦笑)。課金するものが減って経済的にはホッとしている。

 

そうだ、何だか今の私の生活に「学ぶ」という要素が欠けているんだ。気がついたら何というか外に出ずっぱりで、内に篭る時間が減っている。ぼーっと過ごす時間とか、そういうのが。今はパートナーもいるので相手にも気を遣ってしまっている。

 

何とか、以前のペースに戻したいな…。しかしやっぱり疲れてるなぁ。瞑想しよう、瞑想。

 

 

潜在意識が疲れ切ってる

タイトルは昔むかし、占い師に言われた一言。潜在意識まで疲れてたらどうしたらええんや?と当時思ったものの、あながち間違っていないのかもしれない。

 

仕事で、もしかすると私が昇進するかもしれない可能性が出てきた。ただ厄介なのは現在の上司をある意味出し抜くような形になりそうだということ。仕方ないのだが現在のポジションに対する適性と人間力のなさで部署のほぼ全員から嫌われている。そのため組織の体を成しているように見えて実はかなり崩壊している我が部署。それでメンバーが疲弊し切っている。もちろん私も。

 

そんな状況下で、組織を立て直す話が出てきた。そこで私を次の責任者に登板させるというもの。具体的に体制を考えろと個別に指示が出ており頭を悩ませている。

 

私は多分変わっていて、とにかくずっとキャリア志向だった。母親は専業主婦で女性がバリバリ働くとか何の影響も受けたことはない。しかもど田舎。でも社会人1年生の時から管理職になりたいと思っていた。

 

だから今回の話は嬉しいはず。なのに新体制を考えるというタスクが驚くほど進まない。やりたくないわけではない。だけども筆が進まない。
はっきり言って力不足である点は明確。ただ、コツコツ築いてきた社内との信頼関係は強固である自信はある。どこまで本気かはわからないが「お前が責任者になればいいのに」と他部署の責任者に言ってもらったこともある。だからやりたい気持ちはある。

 

それなのになんでこんなにやる気が湧かないのか。

 

何が私のやる気をここまで削ぐのか。というか、もう削がれ切っているのかもしれない。学習性無力感。バーンアウト状態。そういう意味でやはり私の潜在意識は疲れ切っておりガソリン切れなのかもしれない。

 

でもな…考えて体制案を持っていかないと次に進まない。こんな話、社内の誰にも言えないのでそれはそれでストレスを感じている今日この頃。

 

だけど、頑張りたいんだ、私。

 

 

 

 

引き受けちゃう人

職場にいるこういう人。そして引き受けちゃうから蓋を開けると上司からの評価が最も高かった。それって単に「都合がいい部下」として利用しているだけでは?という上席への懸念が生まれてしまう。もちろんその見返りとして評価しているんだろうけど。

 

本人も本人。引き受けてそれでいて仕事は遅い。久しぶりに一緒に仕事をしているが前からこんな人だったっけ?と思うくらい。何かが当人を変えてしまったのか?私の見方が変わった?

 

私もどちらかというと引き受けちゃう人だった。そうすることである意味自分の価値を確かめようとしていたのかもしれない。でも最近はそこまでやらなくなった。身を削って精神を削って、そんなことしても会社とは何もしてくれないということに気づいたから。

 

ちなみに久々に、なんかもうダメだなと思って今日は当欠にした。もちろんフィジカルが拒否反応を示したから体調不良であることには間違いないけれど。こういう身体から出る反応に本音がある。だからその反応を大事にしている。もちろん、最低限仕事への影響は配慮している。でもだからこそ?周囲には「そうだよね大変だったもんね…」と言っていただける(本心かどうかはわからない)。

 

そういうのに甘えたいわけではない。けど、たまには甘えないと潰れてしまう。なぜだろう、星の影響なのか何なのか、スピリチュアルから遠ざかっている。ただの流行りのつもりはないのに。そういう距離を取る時期なのかしら?

 

何書きたいのかよくわからない文章だな。疲れてるわ、やっぱり。

 

 

仕事の詰まりの流し方

なかなか仕事がどん詰まりで。どんな仕事をするかってとても大事だけど、それ以上に誰と仕事するかが重要。この数年、本当にこの「誰と」というところに悩まされていてどんどん悪化する職場環境に毒されてきている。

 

世の中の流れ的には、結構スピリチュアルブームって去ったなと感じるこの頃。占星術的にもそれは表れていて、だからなのか?、私も前ほどスピスピしなくなってきている。

 

でも最近は、仕事をしていて「やっぱりこれじゃない気がする…」という気持ちも大きくなっている。さっき言ったように職場環境がまずひどい。ここまで上席に問題あると組織って本当に死んでいくんだなと感じる毎日。最初は私も元気があったのでなんとかしようと多少は奔走していたけど毒は毒。徐々に侵されてきていて少しずつ「静かな退職」ゾーンに入りかけてきている、まぁ管理職なのでそうは簡単にいかないけど。

 

しかし矛盾することに、同じ管理職レイヤーの中では私が一番上席から頼りにされている。普通だったら嬉しい評価。でも、心が結構死んでいるので嬉しくもないし、パフォーマンスも上がらない。皮肉だが一番評価してもらっているが故に職務的にはわりとフリーポジションで、そのせいで言ってしまえば多少サボれる状況だったりもする。なので最近は在宅勤務を増やしている。

 

サボりたいというか、休みたい。もう本当に。

 

そんなこんなを考えていると、結局私って人生で何がやりたいんだろ?という気持ちになる。ブームは去ってもスピリチュアルが好き。人間の根源というか「生きる」にフォーカスしたいとでも言えばいいのか。

 

今の仕事のおかげで生活には困らないお給料をもらえている。だから贅沢もできるしこんな愚痴も言える。だからこそ、この状況が嫌。気は持ちようだろうけど、もうここまで来るとどうしたらいい?という感じ。

 

こうやってブログを書くのが一種の安定剤。出してないんだろうな、心を。メンタルの代謝が悪いみたい。

 

 

感情表現を置いてきた

カウンセリングの話。そもそも鬱病を罹患した時に自分なりの自己分析をして、なぜ自分がこうなったのか(こんな性格なのか)が一定はわかるようになった。

 

なぜ私は感情を表に出せないのか。

 

カウンセリングでも、「その時どう感じました?」と聞かれるのだけど気づけばずっと状況説明をしている。そしてそうなっていることに自分でも気づいている。でも、感情を表現できない。

 

子供の頃の家庭環境から、自分が感情を表現すると周りに迷惑をかける、だから感情は出さないようにしなければ。そうすれば家族は穏やかでいられる。そう学習してしまっており、感情の蓋を未だスムーズに開けることができない。

 

とある日、知人に私が子供の頃から好きなものについて話した時に少しネタっぽくイジられてしまった。それで私は泣いてしまった。泣いてしまった自分にドン引きではあるものの(苦笑)、その時「自分のことなんて話すんじゃなかっった。やっぱり理解してもらえなかった。私が自分のことを話したところで結局他人には理解してもらえない」という気持ちが湧き上がってきた。

 

子供の頃から、私が興味のあることを友達に話してもわかってもらえた経験が少なかった(と、記憶している)。頭いいからそういうのに興味があるんだよとか、私には僕にはわからないとか、そういうリアクションしか戻ってこなかった。

 

だから話すのをやめた。話すほどに、自分が傷つくから。

 

しれっと、聴く側に徹するふりをして話す側を放棄した。でも殆どの人はそれに気づいていない。みんな自分のことを話したがるだけで相手のことを聴こうなんて気持ちは薄いから。

 

友人であれパートナーであれ、一番仲のいい人に自分の超腹黒な部分を出すことができるのは、一定の感情を出してもいいという安心感を持っているからだと思う。でも腹黒でしか表現できない(苦笑)

 

HSPと相まってなんとかならないものか。まぁなんとかするためにカウンセリングに通っているんだけども。