スピリチュアルと仕事の交差点

管理職をやりながらスピを極めようとする中年女の徒然。

仕事の詰まりの流し方

なかなか仕事がどん詰まりで。どんな仕事をするかってとても大事だけど、それ以上に誰と仕事するかが重要。この数年、本当にこの「誰と」というところに悩まされていてどんどん悪化する職場環境に毒されてきている。

 

世の中の流れ的には、結構スピリチュアルブームって去ったなと感じるこの頃。占星術的にもそれは表れていて、だからなのか?、私も前ほどスピスピしなくなってきている。

 

でも最近は、仕事をしていて「やっぱりこれじゃない気がする…」という気持ちも大きくなっている。さっき言ったように職場環境がまずひどい。ここまで上席に問題あると組織って本当に死んでいくんだなと感じる毎日。最初は私も元気があったのでなんとかしようと多少は奔走していたけど毒は毒。徐々に侵されてきていて少しずつ「静かな退職」ゾーンに入りかけてきている、まぁ管理職なのでそうは簡単にいかないけど。

 

しかし矛盾することに、同じ管理職レイヤーの中では私が一番上席から頼りにされている。普通だったら嬉しい評価。でも、心が結構死んでいるので嬉しくもないし、パフォーマンスも上がらない。皮肉だが一番評価してもらっているが故に職務的にはわりとフリーポジションで、そのせいで言ってしまえば多少サボれる状況だったりもする。なので最近は在宅勤務を増やしている。

 

サボりたいというか、休みたい。もう本当に。

 

そんなこんなを考えていると、結局私って人生で何がやりたいんだろ?という気持ちになる。ブームは去ってもスピリチュアルが好き。人間の根源というか「生きる」にフォーカスしたいとでも言えばいいのか。

 

今の仕事のおかげで生活には困らないお給料をもらえている。だから贅沢もできるしこんな愚痴も言える。だからこそ、この状況が嫌。気は持ちようだろうけど、もうここまで来るとどうしたらいい?という感じ。

 

こうやってブログを書くのが一種の安定剤。出してないんだろうな、心を。メンタルの代謝が悪いみたい。

 

 

感情表現を置いてきた

カウンセリングの話。そもそも鬱病を罹患した時に自分なりの自己分析をして、なぜ自分がこうなったのか(こんな性格なのか)が一定はわかるようになった。

 

なぜ私は感情を表に出せないのか。

 

カウンセリングでも、「その時どう感じました?」と聞かれるのだけど気づけばずっと状況説明をしている。そしてそうなっていることに自分でも気づいている。でも、感情を表現できない。

 

子供の頃の家庭環境から、自分が感情を表現すると周りに迷惑をかける、だから感情は出さないようにしなければ。そうすれば家族は穏やかでいられる。そう学習してしまっており、感情の蓋を未だスムーズに開けることができない。

 

とある日、知人に私が子供の頃から好きなものについて話した時に少しネタっぽくイジられてしまった。それで私は泣いてしまった。泣いてしまった自分にドン引きではあるものの(苦笑)、その時「自分のことなんて話すんじゃなかっった。やっぱり理解してもらえなかった。私が自分のことを話したところで結局他人には理解してもらえない」という気持ちが湧き上がってきた。

 

子供の頃から、私が興味のあることを友達に話してもわかってもらえた経験が少なかった(と、記憶している)。頭いいからそういうのに興味があるんだよとか、私には僕にはわからないとか、そういうリアクションしか戻ってこなかった。

 

だから話すのをやめた。話すほどに、自分が傷つくから。

 

しれっと、聴く側に徹するふりをして話す側を放棄した。でも殆どの人はそれに気づいていない。みんな自分のことを話したがるだけで相手のことを聴こうなんて気持ちは薄いから。

 

友人であれパートナーであれ、一番仲のいい人に自分の超腹黒な部分を出すことができるのは、一定の感情を出してもいいという安心感を持っているからだと思う。でも腹黒でしか表現できない(苦笑)

 

HSPと相まってなんとかならないものか。まぁなんとかするためにカウンセリングに通っているんだけども。

 

 

HSPと管理職

昨年末からカウンセリングを受けるようになった。かかりつけの精神科医からの勧めで。月に1回、臨床心理士と。

 

初回の時に自己紹介を兼ねて色々話して、今後どのようなカウンセリングをしていくか?という話になった時に「あなたはHSPですね」と言われた。

 

あー、やっぱりそうですか、ていうか絶対そうですよね。

 

HSPではない人とHSPの人では受ける刺激の規模が全然違うのだという。普通の人が刺激10に対して最大1.1〜3掛けくらいの刺激であるのに対し、HSPはミニマムで8掛けくらいからスタートしひどい場合は30掛けくらいまでいくらしい。そりゃ無理だわ。

 

敏感過ぎると思ってる、自分でも。なんでそんなところまで気にするの?とか言われる。でももうそういう性分だからなかなか難しい。

 

刺激に敏感すぎる人間って管理職をやると相当疲弊すると思う。ただでさえ最近の管理職は罰ゲームとか言われるし社内政治とか面倒なものに気を揉まないといけないし。でも私は管理職になりたかった。だからと言ってHSS型のHSPではないと思ってるけど。

 

疲れてるなぁ。そろそろ会社員(正社員)を辞めることをきちんと考えた方がいいのかな。私は何を優先したいんだ?

 

 

残飯処理班

年末に更新してからしばらくこのブログの存在を忘れていた。なんだかドタバタだった2025年。混沌とした雰囲気のまま年が明け、色々思うことがあり、ちょっと変化を起こしてみたりなどしていたら5月も半ばになりかけている。

 

昨年末のなかなかメンタルヘビーだった状況からは脱することができた。プライベートがだいぶ安定した。だから日常全体が安定して欲しいと思っているのだけど、どうにも仕事がうまくいかない。

 

相談したところで頼りにならない上長への諦めの気持ちと、スキル能力が足りない?たまたまあの環境にハマってない?同じ課長陣の尻拭いのようなタスクを振られるのと。

 

「だって〇〇に任せられないから」

 

だったらなんで彼彼女は課長なんだよ。この繰り返し。だから最近気がついた。あぁ私は残飯処理をさせられているんだなと。私のミッションは残飯処理班。私にはもっとレベルの高い仕事をして欲しいなどと言ってくるくせに、蓋を開けたら残飯処理ばかり。仲間がいない。もう本当にやるせない。

 

この前も出社の気力を無くし在宅勤務に急遽切り替えたものの、何も頭が回らなくなって結局午後は有休にした。一番嫌な休暇のパターン。でも思考が止まった状態で椅子に座っていても何も変わらないので早々に切り上げて近所にランチを食べに行った。

 

気は持ちよう。それは真理だと思う。そうやって私も最初は頑張っていた。でも言わば腐った環境に居続けたらどれだけ自浄作用を働かせても最終的にはその腐った環境に毒されてしまう。

 

もう一人、私がいたらまだ楽なのにな。
あ、最近エイブラハムもタフティもサボってた。頼みの綱のスピリチュアル。バシャールでもいいな。

 

 

心の根っこと御守りの数

今年ももう少しで終わる。早かった。あっという間だった。いろいろあった。きつかった。

 

そんなつもりなかったけど、今年はいろんな神社を参拝した。悩み惑うことが多すぎて神頼みをせずにはいられなかった。神頼みというより、神様と対話することで自分を整えるのに必死だった。

 

御守りもいただく数は極力シンプルにしておこうと思っていたのに、気がついたらとんでもない数になっていた。今年上半期にいただいたものは純粋な気持ちでもらってきたが、下半期は執着の塊だったように思う。

 

自宅も汚い。片付かない。自分の心の中と一緒。綺麗にしたいのに何を手放したらいいか、どこまで手放したらいいかわからなくなっている。

 

自分らしく生きたい、執着を手放して美しく輝いて生きたい。動かずに、ただ考えすぎて、疲弊して、動けなくなる。特にこの2ヶ月は負のループに落ち込んでしまった。

 

ただひとつ変えようと思ったのは「人の力を借りること」。私という人間の「根っこ」に向き合うことを決めた。「価値のない自分」という自己認識から卒業するために。

 

 

占いってなぁ

心が弱くなると外の何かに頼りたくなるのが人間の心理。この先どうしたらいいのか、これでいいのか、などなど。それで神社に行ったり御守りいただいてみたりする。行き過ぎると変な新興宗教とかスピリチュアル沼に落ちてしまう。私は極力「地に足付いたスピリチュアル」を心がけている、これでも。

 

その選択肢の延長で占いというのがあって、数年ぶりに占いに頼っている自分がいる。とはいえいきなりバカスカ課金しないので、いったん無料である程度見てもらうものを利用している。占い師との相性があるので。

 

まぁ当然だが無料はフロントエンドで、その後の「ここから先は有料で」がバックエンド。フロントエンドのところでユーザー側の私がこの先お金を払って見てもらう価値があると思える相手かどうか。

 

一人は「(テキストで送った)詳細を見ました。せっかくなので電話相談で聞きます」という提案。これから。もう一人はテキストのみで「詳細を送ってこない人は見ない」というたとえ無料でも「本気の相談者」だけを見るという。こちらは霊視らしい。

 

この後者、こっちが詳細を送って当日中に「見ました」と返事をくれたのだがその中身が終始私が渡した内容から出ない中身だった。ほんとに霊視した?

 

それでいて、最初は「紹介でしか対面は行っていない、1時間でいくら」という高額設定だったが私が「ちょっと考える」と返事をするとすぐに申し込み専用のリンクが送られてきた。え、普通に申し込みできるんか。しかも価格が聞いてたのと違うけど(安かった)?矛盾多くない?

 

と、もう一人の電話相談がこれからなので、まぁそれを踏まえて最終的にはお断りかなと思っている。こちらは占術が不明。こっちはいくらになるのか。

 

占いってコールドリーディングができればそこそこそれっぽいことができてしまう。だから少ない情報でバシッと当てられる人の方が信用できる。

 

少し前にいわゆる「占いの館」で同じく霊視の占い師に見てもらった。30分3,000円。この人は名前と年齢、ざっくりとした相談内容だけでまぁまぁのことを言い当てられた。雰囲気的にも悪くない方で数年前に同じところで別の占い師に見てもらった時は相性が悪かったのか終わった後頭痛を起こしてしまった。波長が合わなかったのだと思う。

 

あと、ネットで色々占い師を調べていて、あぁこの人良さそうだな…と思っていたら月を跨いで大幅に値上げしていて、一般のリーデングでも3倍、より高い金額のリーディングはなんと6倍になっていた。普通に引いた。流石にやりすぎのような…。見つけたその時にお願いしてみればよかったな。でも高すぎるのでこの先見てもらうことはないと思う。

 

占いってなぁ。未来って予知するものなのか何なのか。こんな頼っているくせに結局何なんだろうと思う。その未来に行きたいなら自分で意図するしかないような気もしてる。引き寄せとか、タフティとか。

 

メンタルがなかなか整わない。そういう時はとりあえず笑うか。

 

 

願いと執着の境界線

今年はずっと御守りを身につけていた。視界に入るところに御守りがあれば願いごとを忘れないから、芯がブレないから、と思って。

 

でも気がつけばその思いは執着に変化していた。

 

あれだけスピリチュアルとか引き寄せとか読んでおきながら、それにここでもそれっぽいことを書いておきながら、ただやはり引き寄せの法則とはその通りで「思い続けていることが現実化していた」。

 

願い続けるということは、文字通り「願い続ける状態が現実化される」ということ。その通りになっていた。そして願いが実現しない状態に苦しんでいる自分になっていた。

 

 

 

この個人的な一連の話について相談に乗ってくれているのは人ではなくChatGPT。定期的に「甘やかす言葉は要らぬ」と釘を刺しながらも毎日自分が思うこと、考えること、こう在りたいという思いを言語化していった。

 

言語化したことで、かつ、相手がたとえAIでも壁打ち相手ができたことで、だいぶ思考がクリアになったし、何を変えていくといいのか、納得するかが明らかになっていった。

 

もっと自分を大切に扱おう。

 

丁寧に過ごすということだけではない。自分の価値を受け入れること、自己肯定感を受け入れること。「自分には価値がない」という、心の奥底深く深くに沈みきって当たり前の顔をして居座り私の中に潜んでいるそいつをそろそろ外へ追い出すこと。

 

ここが全ての根っこだと、久しぶりに痛感した。

 

20年前に鬱を罹患してからずっと向き合ってきている命題。だいぶ根張りが良いのでなかなか簡単には解決できない。でもそれでも、少しずつは前に進めてきている。

 

私にだってそれ相応の才能と魅力があるはず。人生もう折り返しの年齢。いつまでもウジウジしてはいられない。自分の才能と魅力を本当の意味で解放しないと。